シングルマザーの日常(どきどき妄想)

精神脆弱なポンコツシングルマザー

サクラチル日に親は何を思うか


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先日息子が受験した中学校から本日不合格通知が我が家に届いた。

私が仕事から帰宅するより先に、息子自らが開封し、咽び泣いていた。
残念な気持ちと同時に、息子にこんな思いをさせてまでやるべきだったのだろうかと考えさせられた。

成功体験ならまだしも、挫折に終わってしまったからにはなんとも言えない。

偶然にも今日の昼休み、職場の売店で他部署の看護師(男性)と出合い、彼が前に受けた幹部試験の話題をしていた。
「いやあ、ダメでした。」
と苦笑いする彼に、私は「○○さんはまだ若いから次がありますよ~」と軽々しく声を掛けた。
全く無責任な発言であったと数時間後に私は思い知らされるのだが。

息子の中学校受験はもう二度と無い。
しかし、大人になってからも試験、つまり“自分の能力を試され、評価される”機会は度々訪れる。
息子の今回の経験は、その内のひとつに過ぎないと、そう考えることで納得する以外いまのところ思いつかない。

息子を励ましながらこんな会話をした。

「○○がやりたいことがあるなら、これからもママは全力で協力するよ。」
「でもママはこれからも仕事続けられるの?」
「どうしてそう思うの。ママ出来ないと思うの。」
「なんか、精神的にさ。」
「うーん。とりあえず○○が大人になるまではするさ。」
「じゃあいつか辞めるの。」
「そりゃいつかやりたいことが他に見付かるかもしれないからね。見付けたらまたそのとき頑張るのさ。」

私がそう言うと息子は安心したみたいに笑った。
恐らく、私が“嫌になって仕事を辞める”
ことに対する不安が彼の中にあったのだと思った。

私の言葉に偽りは無かった。
もう投げ出したり逃げ出したりしないと自分の中で誓っているし、仮に進路変更があるとすればそれは“他にやりたいことが見付かった”ときだと思っている。
モチベーションの低い自分にはそうそう無いことだって胡座をかいている面もあるのだが。

ただ息子にそう言ったからには、“その時”が来たら頑張ろうと心に決めた。


息子が挫折感に打ちのめされるより先に、次なる目標を与えねばと私は躍起になっていた。
学年途中でも転入出来る遠方の私立中学校のHPを見たり、中学生向けの留学を検索するなどしていた。

そんなことをしている中で以前息子に宛てて書いた手紙のことを思い出した。
それは1/2成人式という小学校行事の一環で書いた手紙だ。
その手紙の中で私は、
“○○が○○らしく生きられる場所を一緒に探して行こうね。ママはそのためだったらどこにだって行くよ。”
と書いた。

その言葉が今日は、自分に向けられた言葉であったような気がしてならない。
全部全部、自分のためだという強迫観念が襲う。

息子に心配されているような分際で、彼の幸福を考えるなど厚かましいということだろうか。