シングルマザーの日常(どきどき妄想)

精神脆弱なポンコツシングルマザー

よくされる質問(と看護師の★さん)


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「どうして看護師になったの?」

よく聞かれる。

現役の娘達と違って歳も取ってるし、ましてや子育てをしながら3年間看護学校に通うわけだから、相当な理由があるのだと思われるようだ。

確かに、子育てをしながら学校に通うのは大変だ。
看護学校は学力こそあまり求められないものの、時間的拘束は非常に大きい。
現に私は大学在学中に妊娠・結婚し、大学を中退している。当初は子育てしながら卒業する予定であったが、実際様々な理由で、何年も在籍した挙げ句に中退している。
どれだけ難しいことか、身をもって知っていた。
しかしやはり、過去の自分はどこかで「主婦に大卒資格は必要無い…」などと甘んじていたと思う。
そして離婚してしまった以上、もうやるしかないと言う危機迫った状況であったからやってのけられたのもある。

離婚直後、実家に出戻った私に父は言った。
「何か資格取ったら?」
その提案に私は、
看護学校に行きたい」
と即答した。

そう、少なからずそれまでに、「働くとしたら看護師いいな」という思いが離婚する以前からあった。

そのきっかけとなったのが、タイトルにもある“看護師の★さん”なる人物でる。

★さんとは親族の入院先で出会った。
スラーっと背が高く、どちらかと言うとハンサムな顔立ちで、年齢は当時30代半ばくらいだろうか。いつもニコニコしていて愛想が良く(患者の家族だから当然と言えばそうなのだが)、コミュ障主婦で干からびていた自分にはキラキラとその存在が輝いて見えた。
「こんな人が居るところで自分も働けたらな」なんて、俄に憧れを抱いた。

それから看護師になる方法をインターネットで調べてみた。
が、専門学校を卒業しなければならないと知りガッカリした。
と同時に、“高等技能訓練促進費” なるものを各自治体で実施されていることを知った。(実際に私もこの制度を利用した。)
もし旦那と離婚したら、この制度を使って看護師にないたいなぁと、妄想したりした。
まさかそれがとんでも無く近い将来に訪れるとは当時想像だにしていなかったのだが。

元旦那から突然の離婚を言い渡された私は正に晴天の霹靂状態で、看護学校進学は頭の中がパニック状態のまま下した決断ではあった。
そんな状況でも早急に決心できたのは、やはり★さんとの出会いがあったからだろう。
そして案外、看護学校の3年間はシングルマザーとなって自立するための、精神的な準備期間にもなった。
当時の心境は正にカオス状態であったのは言うまでもないが、なんとか卒業できたことは振り返ってみて正直自分でも信じられない。


看護師として働いている現在でも、精神脆弱な私は鬱状態に陥ることが度々あるし、辞めたいと思ったことさえある。
それは看護学校時代も同じだ。
そんなときには★さんのことを思い出す。
初心に返り、あのとき強く憧れた★さんに、いまの自分はどれくらい近付けただろうかと確認する。
そうすることで貧弱なモチベーションを維持している。