シングルマザーの日常(どきどき妄想)

精神脆弱なポンコツシングルマザー

月一の精神科受診と薬


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半年ほど前から月に一度精神科を受診している。
なぜ月に一度か、それは処方出来る薬が最長28日だから、薬を切らさないためにその頻度で受診する必要がある。
よほどコンプライアンスの高い患者でない限り、或いは化学療法など生命維持に関わるような治療を行っていない限り、なかなか定期的に受診することは無いだろう。それだけ病院受診は時間と労力を要し、はっきり言って面倒くさい。

かく言う私も面倒だと思いながらも薬の残量を確認し、受診に出かける。
薬が無くなると困るのだ。
と言うより、薬があることで安心するからそうしている。

私が内服している薬はいわゆる“睡眠導入剤” の一種。
深刻な不眠や鬱に悩まされている方と比較すればごく少量だ。
でもそれを眠りたいときに内服することで眠ることが出来ているので満足している。

それまで眠れないことを気に病むことは無かった。
だって主婦か学生なんて寝不足でもこなせるから。
けれど働き始めると、そういう訳にもいかない。睡眠不足のまま働くとパフォーマンスが下がるし集中力の低下でミスにも繋がる。犯したミスで自責の念に駆られ、益々眠れなくなり出勤するのが億劫になってくる。
ある朝、「もう仕事に行けない」と感じ、初めて欠勤した。そこから気持ちが転がり落ちて行くのは簡単で、やむにやまれず精神科受診を試みた。

症状は何にせよ、専門家が付いているという状況は自分に安心感をもたらす。
初めの受診にあたった、つまり私の主治医は女医で、口数も多くなく私の訴えに耳は傾けるが提案はしないというスタンスの人だ。
「黙って薬出してや」なんてスタンスの私にはピッタリの先生だから。
今でも簡単な問診で必要な薬を処方してくれている。

これだけ書くと先生のヤブ医者感が否めないが、決してそうでは無い。
当初私は仕事を辞めようと思っていて、そうするしか無いと思い込んでいた。両親や近しい友人も、「そんなに辛いなら辞めた方が良い」と私を甘やかしてくれた。
けれど先生は異なる意見だった。
「今はその時で無いと思う」と言ったのだ。そう言われたとき、私は「どうして?」と、それまで肯定的だったのを急に翻されたような気がして混乱した。
結果的に私は先生のその言葉で踏みとどまった。そして今ではあのとき辞めなくて良かったと思うことができている。

これは鬱状態にある患者には重要な決定をさせることを避けさせるという、精神科領域ではかなりポピュラーなやり方ではある。
それを知っていながらも、私は当時自分でそれを回避することが出来なかった。
それくらい、精神状態が不安定だったのだと思う。

今日先生と話したことは、“現状維持に努めること”。
毎日眠れること、お通じがあること(私は便秘薬も常用している)、それが自分にとって安寧をもたらすのであれば、薬物でコントロールするのも悪では無いと私は思っている。

長期的な内服でどんな障害が生じるかは予測出来ない。依存や耐性の問題もあるだろう。
安易に思われるが、そのことで気を病み日常生活に支障を来すくらいなら、薬を頼っていまを快適に過ごすことの方がずっと幸せであると、私は思う。

よくされる質問(と看護師の★さん)


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「どうして看護師になったの?」

よく聞かれる。

現役の娘達と違って歳も取ってるし、ましてや子育てをしながら3年間看護学校に通うわけだから、相当な理由があるのだと思われるようだ。

確かに、子育てをしながら学校に通うのは大変だ。
看護学校は学力こそあまり求められないものの、時間的拘束は非常に大きい。
現に私は大学在学中に妊娠・結婚し、大学を中退している。当初は子育てしながら卒業する予定であったが、実際様々な理由で、何年も在籍した挙げ句に中退している。
どれだけ難しいことか、身をもって知っていた。
しかしやはり、過去の自分はどこかで「主婦に大卒資格は必要無い…」などと甘んじていたと思う。
そして離婚してしまった以上、もうやるしかないと言う危機迫った状況であったからやってのけられたのもある。

離婚直後、実家に出戻った私に父は言った。
「何か資格取ったら?」
その提案に私は、
看護学校に行きたい」
と即答した。

そう、少なからずそれまでに、「働くとしたら看護師いいな」という思いが離婚する以前からあった。

そのきっかけとなったのが、タイトルにもある“看護師の★さん”なる人物でる。

★さんとは親族の入院先で出会った。
スラーっと背が高く、どちらかと言うとハンサムな顔立ちで、年齢は当時30代半ばくらいだろうか。いつもニコニコしていて愛想が良く(患者の家族だから当然と言えばそうなのだが)、コミュ障主婦で干からびていた自分にはキラキラとその存在が輝いて見えた。
「こんな人が居るところで自分も働けたらな」なんて、俄に憧れを抱いた。

それから看護師になる方法をインターネットで調べてみた。
が、専門学校を卒業しなければならないと知りガッカリした。
と同時に、“高等技能訓練促進費” なるものを各自治体で実施されていることを知った。(実際に私もこの制度を利用した。)
もし旦那と離婚したら、この制度を使って看護師にないたいなぁと、妄想したりした。
まさかそれがとんでも無く近い将来に訪れるとは当時想像だにしていなかったのだが。

元旦那から突然の離婚を言い渡された私は正に晴天の霹靂状態で、看護学校進学は頭の中がパニック状態のまま下した決断ではあった。
そんな状況でも早急に決心できたのは、やはり★さんとの出会いがあったからだろう。
そして案外、看護学校の3年間はシングルマザーとなって自立するための、精神的な準備期間にもなった。
当時の心境は正にカオス状態であったのは言うまでもないが、なんとか卒業できたことは振り返ってみて正直自分でも信じられない。


看護師として働いている現在でも、精神脆弱な私は鬱状態に陥ることが度々あるし、辞めたいと思ったことさえある。
それは看護学校時代も同じだ。
そんなときには★さんのことを思い出す。
初心に返り、あのとき強く憧れた★さんに、いまの自分はどれくらい近付けただろうかと確認する。
そうすることで貧弱なモチベーションを維持している。

我が家の台所事情

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私は家事を一切しない。
と言うのも、母という台所の主がいるから、する必要が無いのだ。

人間やる必要が無いのにやっちゃうのはしていて楽しいこと、好きなことくらいです。

なので、もともとあまり家事が好きでは無いし、得意でもない。
大のベテランである母に任せてしまった方が効率的だしコスパが良い。

私は離婚後に子供二人を連れて実家に出戻った。
当時から両親とも私に家のことをやれとも言わなかったし恐らく出来るとも思っていない。
我が子はいくつになろうと子供というわけだ。

家の中でそんな扱いであるから、当然我が子も「ママは料理が出来ない」と思っている。
若くして妊娠・結婚し、稚拙ながらも8年間主婦をしてきたというのに、子供の記憶力とはそんなものなのだ。というより、祖父母の影響力は強大というべきだろうか。
ごく稀に母が不在の日(この場合第2打者は父になる)、私が手料理を振る舞うと「ママ凄い!」と感心される始末。

ママ出来ないわけじゃないんだ…。

そんな具合に多少の哀愁を纏いながらも、してくれている両親には本当に日々感謝している。
美味しいしね、おばあちゃんのご飯。

当面の私の役割はせっせと働きに出て経済を担うことだが、これまたポンコツの私にとっては難題でありまだまだ力不足だ。(因みに現在両親とも働いている)

それでもなんとかアラサーにして社会人デビュー出来たのは、何よりも子供という支え、自分と現実世界とを繋ぐ架け橋が存在するからだ。

はじめましてと自己紹介

はじめまして。
今更ブログ始めてみたアラサー♀です。

二児の母であり、シングルマザー5年目に突入しました。

長男12歳(今年中学生!)、長女9歳です。

職業はnurseやってます。
離婚後に資格取得したのでバリバリの新人nurseです。

コミュ障だったりいろいろ面倒な性格なのですが、日々子供や両親に支えられながらなんとか生きてるポンコツです。

日々の出来事や主観的な考察、時には妄想をタラタラと綴っていきたいと思います。

目を通してもらえると嬉しかったりします。
よろしくお願いします。